◇宗教改革500年記念説教
「マルティン・ルターの祈りと賛美」
田園都筑教会牧師 相賀 昇
3:26 このように神は忍耐してこられたが、今この時に義を示されたのは、
御自分が正しい方であることを明らかにし、イエスを信じる者を義となさるためです。
3:27 では、人の誇りはどこにあるのか。それは取り除かれました。どんな法則によってか。
行いの法則によるのか。そうではない。信仰の法則によってです。
3:28 なぜなら、わたしたちは、人が義とされるのは律法の行いによるのではなく、
信仰によると考えるからです。
新約聖書ローマの信徒への手紙3章26節-28節
私たちの教会は日本基督教団に属しておりますが、それはすなわち「プロテスタント教会」であります。さらにプロテスタントとは大まかに言えば、マルティン・ルター(Martin Luther、1483年11月10日〜1546年2月18日)によって始められた「宗教改革」の流れを受け継ぐ教会であります。それは1517年10月31日に始まったとされていますので、2017年はいよいよ宗教改革500年をお祝いする記念祭の年を迎えるわけです。
1517年10月31日、ルターは「免罪符問題」に関連して、カトリック教会の方針に抗議(プロテスト)をいたしました。その流れは時代の変化とともに枝分かれし、それらはさらに多くの教派に分かれています。これらプロテスタント系の諸教会は、教義や実際面で細かい違いはありますが、大筋においては、いわゆる「宗教改革の三大原理」に立っていると言うことができると思います。それでしばしば「三大原理」ということが言われるのですが、ひとつは「タダ信仰ニヨッテノミ」という「信仰義認」です。これは、人が神の前に義と認められるのは、善い行為、つまり律法を行うことによるのではなく、ただ神様のお恵みを信ずる信仰によるという理解です。次に「タダ聖書ニヨッテノミ」という「聖書原理」ですが、これは信仰の本質は教会の教義や教義以前に聖書によってのみ示されるという理解です。そして「万人祭司」の原理ですが、これは当時カトリック教会が聖職者と平信徒を区別し、神と人とを仲立ちする特別な職務はもっぱら聖職者(司祭)に委ねていましたが、ルターはこれを聖書的な理解へと戻しました。
ただ信仰によってのみ義とされる
さて今回の信仰セミナーのテーマは「ルターの賛美と祈り」ですが、それを考える出発点にはやはり
ま申し上げた「タダ信仰ニヨッテノミ」、「タダ聖書ニヨッテノミ」、「万人祭司」という理解があって、それらが礼拝を変え、祈りを導き、賛美へと至ったのだと思います。ただ信仰によってのみ―すなわち人は律法の義を行うことによってではなく、ただ信仰によって神様の前で義とされるということ。これは、ルターが単に頭の中でひねり出した神学理論ではありません。ローマ書3章26節を見ますと、「このように神は忍耐してこられたが、今この時に義を示されたのは、御自分が正しい方であることを明らかにし、イエスを信じる者を義となさるためです」と書いてあります。つまり神様はキリストを贖いの供え物として立てて、「自ら義である」ことを現されただけでなく、「イエス様を信じる者」はだれでも義としてくださる方として、この私、この私たちのために、御自身を現されたのです。
ところがルター自身がこの確信に達するまでには、血の滲むような苦悩があり、またそれに勝る喜びがありました。若き日にエアフルトのアウグスティヌス派の修道院に入った彼は、その規律に忠実に従い、律法の定める「義」に達するために日夜努力していたのでしたが、努力すればするほど自分の罪と弱さを思い知らされたといいます。私たちにも大なり小なり信仰をめぐって果たしてこれでいいのかというような経験があるかもしれません。修道士であったルターははじめ「〈神の義〉という言葉を憎んだ」といいます。「もし誰かが私に略奪を働いても、私は〈神の義〉という言葉を聞くときほど苦しむことはなかったであろう」と彼は書いていました。
「あの方を見上げるようにしなさい」
ある日、修道院にいたルターは暗い顔をしておりました。すると修道院長シュタウピッツがそのことに気づき、「君は自分の弱さだけを見つめていてはいけない。キリストと呼ばれるあの方を見上げるようにしなさい」と忠告したといいます。そのことが、転機をもたらすきっかけになったのでしょうか、ルターは詩編やローマ書を読み進めてゆくのですが、やがて聖書の言葉の驚くべき力に打たれることになります。「では、人の誇りはどこにあるのか。それは取り除かれました。どんな法則によってか。行いの法則によるのか。そうではない。信仰の法則によってです。」(ローマ3:27)「行いの法則」というのは、すべての規定の実行を要求し、その実行に対して義を約束すると理解された《律法》(ユダヤ教)を指しています。しかしこのように理解された《律法》は明確に否定され、代わって「信仰の法則」が登場するのです。ルターに取っては神様の前に自分が努力して義とされるのでなく、キリストを信ずる信仰によって受け取る義です。
さらに28節はルターの確信をさらに強めました。「なぜなら、わたしたちは、人が義とされるのは律法の行いによるのではなく、信仰によると考えるからです。」ここで「わたしたちは考える」というのは、推量するとか見なすというような意味ではなく、自分の立場や確信を宣言するという強い言葉です。その内容は、「人が義とされるのは、律法の行いとは無関係に、信仰による」ということになります。後にルターは当時を振り返ってこう書いています。「私は長い間、誤りのうちにおり、自分がどこにいるのかも分からずにいた。…このような状態は、私がローマ書の『義人は信仰によって生きる』という言葉にたどり着くまで続いた」。続けて彼は次のように書いています。「遂に私は神の義を、義人が信仰によって生きるように導く義として理解し始めた。〈神の義が福音を通して啓示された〉という言葉の意味は、・・・憐れむ神がわれわれを信仰によって義とする、そのような義だということである。・・・ここで私は正に生まれ変わったように感じた。そして開かれた門を通って正に天国に入ったように感じた。その時たちどころに、全聖書が私にとって全く別の姿を示すに至った。・・・以前に私が〈神の義〉という言葉を憎んでいた憎しみが大きかっただけ、それだけ一層大きな愛をもって、私はこの言葉を・・・極めて甘美な言葉としてほめたたえた」。
宗教改革はひとりの人間の喜びから始まった
このことが起こったのは、1516年、つまり、彼が『95か条の提題』をヴィッテンベルクの城教会の扉に張り出した前の年だったと言われています。この事実は重要だといわなければなりません。つまり、宗教改革は単なる机上の神学論争から生じたのではなく、ひとりの人間の救いというこの深い「喜び」から始まったからです。そこには「正に生まれ変わったような喜び、そして「開かれた門を通って正に天国に入ったような」喜びを味わうに至ったひとりの信仰者ルターがおりました。そこからルターは、彼の神学的理解をその著作による以上に、賛美歌によって広めていくことになります。この宗教改革者は、「音楽は、悪魔を追い払い人々を楽しくさせる神の賜物である」と書いています。こうして宗教改革の霊性、霊的な本質には音楽があると言えます。これはさらに同様に祈ることにも当てはまります。なぜなら祈りとはまさに自分を憐れんで義として下さる神様への応答だからです。最初に歌いました讃美歌21-50「みことばもて主よ」、この後に歌う21-377「神はわが砦」は、いずれもルターの信仰の闘いとそこでの祈りの中から生まれた信仰の喜びをあらわした讃美歌にほかなりません。私たちの教会も、この喜びから歩き始め、この喜びに満たされて歩み続け、この喜びを互いに分かち合う教会でありたいと心から願います。
お祈り
イエス様を信じるものを義として下さる神様、敬愛する兄弟姉妹たちとともに今年に信仰セミナーへと招かれ、開会にあたりあなたを礼拝しみ言葉をもって信仰を力づけてくださり感謝いたします。かつて500年前ルターはイエス様を信じる信仰が、ひとの罪を取り除き、義の賜物を与えて救い給うという福音に目覚め、そこにこそ教会のよって立つ土台があると告知いたしました。どうか私たちもその新しい今、新しい時代に召されたものとして、神の義という灯火、福音の光をしっかり携えて、悪が支配する暗闇の中にそれを輝かせる存在として立って行くことができますように。どうかこれよりはじまるしばらくのとき心をあなたに向け、信仰の養いと教会の働きのためにともどもに学び、祈りをあわせるときとしてください。どうかこの教会にいつも十字架と復活の主がたちたまいて、主が最後にはよい業を成し遂げてくださるとの約束を信じつつ、アドベントまでの日々を、忍耐をもって祈りつつ、また喜びをもって励むものとしてください。主の御名によって、アーメン。
(2016年10月10日・田園都筑教会『信仰セミナー』開会礼拝説教から)
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