◆説教要旨「ある祈りの場所から」◆


聖書:使徒言行録 16章11-15節
 わたしたちはトロアスから船出してサモトラケ島に直航し、翌日ネアポリスの港に着き、そこから、 マケドニア州第一区の都市で、ローマの植民都市であるフィリピに行った。 そして、この町に数日間滞在した。安息日に町の門を出て、祈りの場所があると思われる川岸に行った。 そして、わたしたちもそこに座って、集まっていた婦人たちに話をした。 ティアティラ市出身の紫布を商う人で、神をあがめるリディアという婦人も話を聞いていたが、 主が彼女の心を開かれたので、彼女はパウロの話を注意深く聞いた。 そして、彼女も家族の者も洗礼を受けたが、そのとき、「私が主を信じる者だとお思いでしたら、 どうぞ、私の家に来てお泊まりください」と言ってわたしたちを招待し、無理に承知させた。

 中央ヨーロッパに位置するドイツで生活しておりますと、芸術や文化から社会のあり方にいたるまで、 人々の考え方のなかにキリスト教の精神が深く刻みこまれているのがわかります。
例えば2000年はJ・S・バッハの没後250年にあたり、世界中がそれこそ宗教の枠を超えてこのプロテスタントの作曲家に注目しました。 彼をして第五番目の福音書記者と呼ぶ、そんな表現さえ登場したのです。 しかしその一方で、宗教改革のご本家であるドイツでも次第にキリスト教離れが起っていることもまた事実です。 数字的にもドイツのクリスチャン人口が三分の二を切ったというニュースがありました。  それにしてもヨーロッパにおける福音との出会い、その最初の出来事はいったいどうだったのでしょうか。 今朝のテキストである使徒言行録を見る限り、それは人間的な目からすれば、華々しいというよりは、むしろ地味で、 ささやかなものでありました。
 パウロたち一行は聖霊に導かれて、「マケドニア州第一区の都市で、ローマの植民地であるフィリピに行った」(12)とあります。パウロたちはそこに数日間滞在しました。聖霊の導きによってやってきたところです。彼らはなんとかして伝道の拠点を見出そうとします。パウロたちの場合、ふつうは都市にあるユダヤ人たちの会堂がまず可能性のあるところなのですが、フィリピにはひとつの会堂すらありませんでした。彼らがようやく見出したところは、とある川岸の「祈りの場所」でした。しかも「祈りの場所があると思われる」とありますから、ほんとうに不確かな、そうだと推測される場所にすぎないわけです。  そこにあらわれたのは、たぶん彼らの期待に反して、何人かの婦人たちでした。ともかくパウロたちはそこで「集まっていた婦人たちに話をした」(13)。これがヨーロッパにおける最初の伝道・説教でした。この婦人たちの中に「ティアティラ市出身の紫布を商う人で、神をあがめるリディアという婦人」(14)が登場してまいります。ティアティラ市は小アジアの町で、黙示録では七つの教会のひとつに挙げられています。リディアはそこからどういうわけかこのフィリピに移り住んで、郷里の紫布を商う女性主人となった。多分富裕で自立した女性、大きな家族の主人であったと想像されます。
 14節には「主が彼女の心を開かれたので、彼女はパウロの話を注意深く聞いた」とあります。ここで「心を開かれた」ということが重要です。聖書が私たち人間の中心として見ているのはあくまで心であって、決して理性や分別でも、あるいは能力や知識でもありません。今から475年前、宗教改革者のM・ルターは聖化についてこう印象深く教えています。「わたしは自分の理性、また自分の力によっても、わたしの主なるイエス・キリストを信じられるとも、主のみもとに到達できるとも信じない。そうではなくて、聖霊が福音を通してわたしを召され、その賜物によってわたしを照らされたのだ」(小教理問答書)。
 まさに主なる聖霊が働いて彼女の心を開かれたのです。しかしいったい何が彼女に起ったのでしょうか。社会的に成功し、世間からも尊敬を集めていたに違いないリディアです。今日流にはキャリアウーマン、女性オーナーでしょうか。しかしこの女性は「神をあがめるリディア」とあるように、彼女のなかには何か営利的な目的とか物質的な価値だけが占めていたのではありませんでした。彼女にとって生きる意味と人生の本質は、事業の利益を追求することに終わるものではなかったのです。つまり彼女の心は今やイエス・キリストの愛によって捉えられ、またその愛に対する応答によって満たされた。こういえるのではないでしょうか。
 神のみ言葉がわたしを捉えるとき、それはただちにひとつの結果をもたらします。それはそれまでのわたしの人生に進路変更をうながします。しかもそれはたんに従来のものを変えるという一部修正に留まるのではなく、わたしの内側と人生にイエス・キリストというお方の、まったく新たな世界を展開して行くことに他なりません。  
 こうしてリディアはキリスト教の洗礼を受けました。このあと家族全員が洗礼を受け、フィリピの教会のはじまり、つまりヨーロッパ最初の教会のはじまりとなったわけです。 ヨーロッパのキリスト教は、フィリピのある祈りの場所から、幾人かの名もない婦人たちとの小さな出会いから起こりました。しかもそれはパウロたちの伝道計画ですらなく、なによりも主ご自身の導き、聖霊による導きでした。神様はそのような小さな事から始められたことを覚えます。
 それは今日、しばしばひとびとの教会離れが嘆かれる時、あるいは伝道や宣教が問題となる時、必ずやわたしたちの指針と希望になるのではないでしょうか。リディアが経験したことは、わたしたちひとりひとりが経験することにほかなりません。わたしたちもまた主によって心を開かれたものたちです。わたしたちの心の直中に絶えずたくさんの空間と場所をつくって、キリストを宿らせてまいりましょう。