午後3時、ゴルゴダの丘にて

青 井 浩 也

「父よ、彼らをお赦し下さい、自分が何をしているのか知らないのです」
とイエスは祈られた(ルカによる福音書)。
・・・イエスは再び大声で叫び、息を引き取られた。
そのとき神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け、
地震が起こり、岩が裂け、墓が開いて、
眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返った(マタイによる福音書)。

 手と足に打たれた釘から血が滴っている。止めを刺すように一人の兵士が、脇腹を槍で刺す・・・。
 イエスさまはこの場所で十字架につけられ、それによってわたしの罪が洗い清められた。十字架の位置を示すためにテーブルがある。テーブルは意外に簡素なもので、その上に十字架と蝋燭が置かれている。その簡素さがかえってことの重大さを暗示しているように思える。隣に、地震によって裂けたという岩が顔を出している。裂け目の深さは数メートルもあろうか。少々離れたところには縦2m、幅60センチほどの平らな石がある、大理石であろう。イエスさまはヨセフたちによって十字架から降され、この石の上で亜麻布に包まれた。
 おそるおそる指でその石をなでてみる。石は冷たい。外は一月末のエルサレムとしては珍しく雨が降っている。時は午後3時半、イエスさまが息を引き取られたのが3時というから、奇しくもほぼ同時刻である。広い教会堂に人影はまばらである。
 ここはゴルゴダの丘に建つ聖墳墓教会である。突然現れた目の前の情景にわたしは驚くばかりだ。夢ではない。ゴルゴダの丘に来ることは予測だにしなかった。所用でテルアビブに出張中のこと、仕事の中休みに当地側で計画された半日のバス旅行中である。行き先がエルサレムであることを知らされたのは、バスに乗ってから。何度目かにバスから降りるとゴルゴダの丘だった。午前中は激しい雨で、すんでのところでバス旅行は中止になるところだったが、予定の出発時間直前になってその雨脚が弱まってバス旅行が実現した。 そもそも、今回、わたしはテロが頻発しているこの地に来るべきかどうかと迷った。しかし、主催側の強い要請でやむなく出かけた出張だった。
 十字架から二・三十メートルのところにその洞穴のあとがある。今は、そこに箱状の建物が建っており、奥に小さな部屋がある。イエスさまはそこに葬られた。三日目にここを訪れたマリアたちは亜麻布だけが抜け殻のように残っているのを見つける。イエスは復活されたのだった。
 このすべてが起こった場所は通常、多くの人で混雑しているという。しかし、現在の政治情勢では、エルサレムを訪れる人は少ない。それに加え、午前中の激しい雨の影響で、会堂は閑散としている。たった一人この小部屋で暫くの時をイエスさまと過ごすことができた。そっと目を閉じて主に祈りを捧げる。静かな時が流れる。しかし、心は熱かった。
 長い間、頭に描いていたイエスさまの墓が目の前にある。それはわたしにとって存在の根源のようなものだ。当時の洞窟は今あるこの建物より力強く神秘的だったにちがいない。こみ上げてくるものをどうすることもできない。そっと目頭を押さえながらその場所を出た。
 私は、もう一度、イエスさまが臥されたという石に戻りたくなった。周りに人がいないのを確かめながら今度はしっかりと手のひらで石をなでる。冷たいけれどもどこか暖かさがある。いつまでも、そこに跪いていたかった。
  聖墳墓教会を出て、石畳の道を返っていく。イエスさまが重い十字架を背負わされ、歩まれた道である。私には十字架を負うことはできない。ただ、イエスさまのことを思いながら、一歩一歩、歩むだけである。
 二千年の昔の出来事について、明らかでない点があるのは当然である。後の世の人の作り話もあるかもしれない。しかし、百歩譲っても、イエスさまはこのあたりで神の福音を語られ受難されたことは間違いない。すぐ近くにゲッセマネもある。
 どうしてこんなことになったのだろうか。きっと神様は、思い迷っている私を励ますために、「イエス様の跡を見よ」と強引にここにつれてこられたのだ。静かな環境を作って、イエス様の足取りを示してくださった。神様は捉えていてくださる。そして、わたしの愚かな思いを越えて導いてくださる。
 小さな、しかし頑なな私は言う「主よ、愚かであることを知りながら、我を通してしまう私です。しっかりと捉えていてください。何度も、何度も過ちを正してください。あなたによって造られた私なのですから」と。すべてが御手のうちにあるようにと祈るばかりである。
  しばしの滞在の後、エルサレムを後にした、震えるような体験を与えられて。

(2003年1月21日 エルサレムにて)